トクする!栄太郎のブログ

特許、人柱としての報告や瞑想、たまに生命保険などなど、トクする情報を発信します。

【アドラー】体験的結末と論理的結末

私には2人の娘がいます。

2018年8月時点で23歳と19歳です。

まだ、2人共自活していませんが、先に死んでしまう親としては子供に自活できるようになってもらうのが第一優先の願いです。

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自活する上で、何が一番大事だろうとずっと考えていますが、結局、

「周りの人に好かれる」

ってのが一番大事だろうという結論に達しました。

 

コレって、結構難しいテーマですよね。

他人に好かれるために自分を犠牲にするのは本末転倒です。

どこにバランスを求めるかと言うとケース・バイ・ケースです。

これをやればOK!って言う究極の真理があるわけではありません。

 

つまり、彼女たちには経験から学んでもらう以外の方法はないのです。

なので、私の方針は「経験から学べ!」です。

 

以下の話は、私の解釈と実践のお話です。

 

世間の認識からずれているとは思いませんが、個人差もあることですので、みなさんも、能動的に解釈をお願いいたします。

 

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アドラーの言葉

ルフレッド・アドラー(アルフレッド・アドラー - Wikipedia)

が遺した言葉で、

「罰を与えるのではない、結末を味合わせるのだ」

 

という言葉があります。

この言葉こそが私の拠り所です。

 

体験的結末

体験的結末というのは、例えば、子供が不適切な行動をしているときに、それを静観して、痛い目に遭うのを待つやり方です。

(むちゃくちゃ誤解を受けやすい表現ですが曲解しないでくださいね)

 

私の経験

例えば、20年位上前の自分の経験ですが、生後10ヶ月くらいの長女と風呂に入っていました。

10ヶ月と言えば、伝い歩きをする頃です。

長女は伝い歩きが楽しかったのだと思います。

風呂桶の中で使い歩きを楽しんでいました。

私は、心配なので脇をすぐつかめるように体に手を添えています。

だけど、長女はそれが煩わしかったのでしょう。

不機嫌そうに手を振りほどく素振りを見せました。

仕方なしに私は手を引っ込めましたが、いつでも助けられるように手をスタンバイしています。

 

その直後、長女は足を滑らせ、水没したのです。

すぐに助けましたが、水中でも、長女が目を開いたままでいることが印象的でした。

 

すぐさま助けたので、水を飲んだりしていませんが、大泣きです。

私は、ちゃっかり自分を助けてくれるスーパーマン的な立場を得たのでした。

 

これって、まさに、自業自得的な体験的結末です。

以降、長女は私が手を添えるのを拒まなくなりました。

 

逆に、強制的に手を添えていたらどうなったでしょうか?

私は嫌われて(助けてくれるスーパーマン的立場ではなく)、さらに、

長女は、手を添えると不機嫌なことは変わりなかったでしょう。

 

今では、その時のことが長女との間で笑い話になっています。

これが体験的結末の例です。

 

論理的結末

これは、子供が、共同体(所属するグループと考えてください)の中で、どう見られているかを自覚できるレベルに成長しないと使えません。

 

例えば

自分の子供が公園で乱暴をする子供だったとします。

 

そうすると、その子供に、

「乱暴された子はどう思うと思う?」、

「逆の立場だったら?」

と質問を投げかけ、さらに、

「そのまま同じことをしているとどうなると思う?」、

「そんな子が(自分以外に)居たらどう思う?」

と、このままだったらどうなるかを想像させるのです。

 

残念ながら、これが使えるのはよほど成長した子供でないと使えません。

ただ、そこまで考えられる子供ならば使えます。

 

論理的結末亜種

保育園レベルの子供はそこまでのことは難しいと思います。

そこで、亜種の方法として論理的結末と体験的結末の中間的方法を使います。

それは、「約束する」のです。

 

乱暴をしていたら、すぐさま引き剥がします。

その上で、論理的結末を体験させるべく会話します。

 

さらに、約束するのです(約束させるのではありません)。

 

  1. 乱暴なことをしないならば、公園にいて他の子と一緒に遊べること。
  2. 乱暴なことをした場合はすぐさま家に帰ること。

この2つです。

これで収まればよし(収まるはずはありませんよね)収まらなければ、さっさと子供を引き剥がして家に帰ります。

 

子供の反応は一切無視です。

更には、その結果について何も言う必要はありません。

そこをくどくど言うと「罰」になってしまいます。

あくまでも、約束に基づいて原因と結果があることを解らせることです。

 

もし、説明を求められても約束についてのみ説明すればよいのです。

これが「論理的結末の亜種」です。

原因と結果を体感させるのです。

 

もう一つの解決方法

それは、「乱暴する子供の目的を見る」ということです。

人間の行動には必ず目的があります。

ちっちゃい子供でもそうです。

一番わかりやすのが、「親の気を引くため」です。

子供同士遊ばせておくのが一番って安心しきっていませんか?

もしかしたら、乱暴されることにも目的があるのかもしれません。

(キツイ言い方ですね)

でも、モノゴトについて一方的な見方ってのは良くないと思います。

これについては、重要なことなので、改めて説明しますね。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。<(_ _)>

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