最近、「我慢する」、「無理する」ってことで考えさせられました。
そんなことをツラツラと書き連ねたいと思います。
考えたきっかけ
上のリンクで書きましたが結膜炎になりました。
最初は「目が赤いだけ」と思い放置していましたがだんだん悪化しました。
眼科に行きましたが、目薬をもらうだけ。
そしたら土曜日になったら、痛くて目が開けられない状態になりました。
当然、涙がボロボロ出ます。
鏡を見ると、悪い方の目の黒目の表面が滑らかさを失っています。
当然、見えません。ナンカヤバイ!
妻が、ネットで日曜日も診察してくれる眼科を探してくれました。
(コンタクトの店の御用眼科ではないところです)
そしたら、先生が、「ありゃ~。ひどいね」と一言。
診察の結果、「角膜が皮一枚剥がれている」とのこと。
角膜が駄目になったら、治療法は角膜移植しかありません。
アセりました。
以降、会社を休んで、目を使わずに療養に専念しました。
目を使わないので退屈です。
そこで、ツラツラと考えました。
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我慢/無理しちゃいけないとき
別に、今回の件は我慢/無理の結果ではありません。
単なる読み間違いだと思います。
とはいえ、我慢/無理しちゃいけないときってあると思います。
体調不良
体調不良は鉄板です。
確かに”氣”がみなぎっていれば体調不良に陥りにいのは、経験則としてありますが、一度体調不良になってしまえば、 その御利益も終了です。
こうなったら、素直に降参して治療に専念すべきです。
特に頭痛には気をつけてください。
突然、頭が痛くなった。痛くないときと痛いときの境目がはっきりしているものはクモ膜下出血の恐れがあります。
クモ膜下出血を形容するときに「突然バットで殴られたような」という表現を使います。
これは、「凄く痛い」という意味もありますが、「突然である」という意味も含みます。経験者は語ります。
心の不調
”鬱”につながるデリケートな問題です。
少なくとも、食事中もなにかに囚われるっていう状態になったら黄信号ではないでしょうか?
我慢/無理したほうが良いとき
別にオススメするわけではありませんが、我慢/無理したほうが良いときってあると思うのです。
たとえば、「成長したい」ときってありませんか?
「ノビノビ」、「ラクラク」とコトを行っていて成長すると思いますか?
私はそのようなときに成長した自覚はありません。
なにか目標を達成しようとする際に、突発的に何かが発生するからその対処法が身につくと思います。
また、障害があれば、その障害を克服する対策を必死に考えます。
だからこその成長ですよね?
そんなときは、食事中もそのことで頭が一杯だけども、たぶんグルグルと囚われているのではなく、何か閃いたら「ニカ~」と笑っていると思うのです。
そんなときって”氣”がみなぎっていますよね?(”気”ではない)
それが、我慢/無理したほうが良いときと、我慢/無理してはだめなときの差だと思います。
ホワイト企業とブラック企業
以上の視点で俗に言うホワイト企業とブラック企業を見てみたらどうでしょう?
例えば、確かに昔の「ワタミ」は自殺者も出したブラックの名門企業だと思いますが、もしかしたら、従業員の中には自分を成長させてくれる会社だと思っていた人がいたかもしれません。
そんなひとには、「ワタミ」はブラックではないのかもしれません。
つまりは、その企業をどう思うかは、従業員の感じ方次第なのだと思います。
ホワイト企業とブラック企業という色分けは、個人に任されているように思います。
2018年時点ではどちらかと言うと求人難です。
人材の売り手市場です。
なので、自分が努めている会社が、自分から見てブラック企業だとおもうのならば、転職を視野に入れるのも良いのかもしれません。
そのときは、自分が欲しがられる人材か否かを冷静に考える必要があります。
今いる環境を成長の糧とできているかどうかって重要ですね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。<(_ _)>
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