いきなり、センター試験の結果を晒します。
普通はダメダメと判断できる成績です。
素晴らしくメリハリのある成績です。
実は、コレこそが今回の勝因です。
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客観的に見て
謙遜でも何でもなく、次女はおバカです。
なんとか、公立高校に滑り込んだものの、ビリで合格です。
(自己採点が1点少なかった友人が落ちました)
合格したのが奇跡だと思っています。
本を読まないのが災いして、日本語が不自由です(語彙が致命的に少ない)。
単に日本語が不自由なのを「自分は理系だ」と誤解しているイタイ子です。
そんな子が高校3年生になりました
受験がヒタヒタと迫ってきます。
進路を決めないといけませんが、私達両親の目から見て、この子が公立大学にいけるとはとうてい思えません。
しかし、学校の方針としては、必ず公立大学を第一志望にさせて、私立を滑り止めにするという方向性です。
たまたま「映画 ビリギャル」がテレビで放送されていました
少し、自分の立場が分かってきた次女がコレを見て天啓を受けたようです。
私は見ていませんが、この映画から得ることが出来る教訓は「選択と集中」だと思います。
「選択と集中」の欠点は
「当たり外れが大きい」
ことと
「長期的視野に欠ける」
ことが挙げられると思います。
しかし、
「当たり外れが大きい」ことに関しては事前リサーチを徹底することで回避し、
「長期的視野に欠ける」ことについては、本人が熱望するものを目標とすることで緩和できると思いました。
目標の決定
目標の決定に関しては、下記リンクで紹介したように、
長女の失敗を教訓に、医療関係に進むのが良さそうだという認識が本人にも芽生えていました。
しかし、看護師は本人も希望しませんし、私達も(性格的に)無理だと思っています。
色々と探すうちに、自分がテニスで足を痛めたときにお世話になった理学療法士が良さそうだと、思い始めました。
そうすると、不思議なもので、テレビを見ていても理学療法士の肩書の方をよく見るようになります(実際はそれまで気がついていなかったものが目に飛び込んでくるようになっただけですけどね)。
かくして、本人も理学療法士になりたいと熱望するようになりました。
志望校の決定
次女の少ないリソース(頭脳)で入れる学校を選ぶ必要があります。
これは妻が頑張りました。
次女は妻に甘やかされて妻の検索待ちです(ヲイヲイ)。
(父と母、どっちがアドラー的? 子育てには覚悟が必要。を参照して下さい)
その結果、私立大学2校に絞りました。
これが、5月頃です。
受験にあたって
選択と集中を行おうとすると学校方針と整合しない局面も多々あります。
例えば、必ず公立大学を受験させる方針とか…。
私達は懇談会の際に夫婦揃って行きました。
そこで、
基本、家から通うのではなく、外に出す方針であること
という基本姿勢であることを明らかにしました。
あとで気が付きましたがこの意思表明は非常に大事でした。
なぜなら、受験に関して、両親も子供も同じ方向性であることを明言したからです。
たとえば、担任の前で、両親の方向性と子供の方向性がバラバラだったとします。
そうすると、担任の立場としては良かれと思って学校の方針に従わせようとするでしょう。
しかし、我が家の場合は一枚岩であることを示したので、担任としてはある意味安心して放置することが出来るのです。
だって、次女の受験が失敗した場合は責任は家族にあるのは明らかですから。
なので、ある意味この懇談会で「治外法権的な立場」を獲得しました。
逆に結果の責任は自分たちで負うことになります。
選択と集中
ここから先は、突っ走るだけです。
次女は、英語と数学と物理に的を絞って勉強をはじめました。
夏休みの勉強で、物理の点数が20点上がったと言っていました。
このように的を絞って勉強するためには、勉強しない科目の授業で「内職」をしたくなります。
私達は、次女の口から、内職をする科目の先生に仁義を通させました。
多くの先生は事情をくんで「いいよ」と言ってくれました。
「ダメ」と言った先生も、どうやらタテマエらしくて、見て見ぬふりをしてくれたようです。
受験本番
1校目は奨学生入試の制度があり、12月に受験できます。
奨学生になれなくても成績が良ければ合格の資格を得ることが出来ます。
受験1週間後、奨学生にはなれませんでしたが、合格の資格を得ることが出来ました。
上出来です。
1校目に合格できたことで、精神的に非常に楽になりました。
2校目は、センター試験併用と、通常受験?の2パターンの受験があります。
センター試験の結果が冒頭の成績表です。
1月末に、2校目の受験と面接がありました。
受験は本人も良く出来たと言っていますし、面接も本人に言わせると、熱意を伝えることが出来たらしいです。
結果は、センター試験併用と、通常受験の両方に受かりました。
また、神風が吹いたようです。
この時点で、公立大学の入試は完了していませんので、次女は学校で、ほぼ一番最初に進路が決まったことになります。
後始末
置き去りになった勉強を取り返す必要があります。
まず、次女は苦手な日本語を勉強するために、小学4年生の漢字ドリルを持って学校に行きました。
受験が、終わっていない子から「なんで、合格したのに学校来るの?」などとイヤミを言われたとのことです。
でも、これは、次女が甘受しなければならない試練だと思います。
そんなこんなで、2月は通学し、3月1日に無事卒業できました。
今では、大学の寮(山梨県)に住んでいます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。<(_ _)>
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